牧師のひとり言の目次 

聞くこと

 大変だ、しんどい、苦しい、悲しい、そんな話を聞くと、そんな風にしたから、そんなことするから、あれがこうだったから・・・、だからこうなったのだ、ということをよく言ってしまう。そうやって相手の苦しみの原因を、悲しみの原因を探ることは得意である。そしてその原因を探ることで相手のことが分かったような気になってしまう。
 あるいは逆に、そんなことを言ってはいけないとか、そんなこと言われても私にはどうしようもないのだから、とその声を突き返すこともある。確かに悲しみや苦しみをなくせと言われたならば、そんなことは出来ないとしか言いようがないことが多いだろう。
 けれども、私はこんなに苦しいこんなに悲しいと誰かに言う時は、苦しくなったり悲しくなったりした原因を知りたいから言う訳でもなく、あなたに解決して欲しいということを願っているわけではない場合がほとんどだろう。そんな原因は大概誰よりも自分が一番知っているのだ。なのに尚更そのことを指摘されると余計に惨めな気持ちになるのが関の山だ。あるいは、そんなこと言うものではない、そんなこと私に言われても、なんて言われると悲しさの上に誰も分かってくれないという淋しさが加わってしまう。
 誰かに悲しい苦しい気持ちを話すとき、それはその悲しさや苦しさをどうにかして欲しいというよりも、その気持ちを分かって欲しいからだろう。今悲しんでいること、苦しんでいることを知って欲しいからだろう。
 人は自分の気持ちを分かってくれるだけで全く変わってしまう。私たちにできることはただ聞くだけと思うことが多い。でも聞くということは本当はすごい力となるのだと思う。
 確かに聞くことは相当にしんどいことでもある。しかしそれは愛するということでもあると思う。