牧師のひとり言の目次
祈ることをやめる
父親のために書かれたある本の中に、家族のために祈ることをやめる、ということが書かれていた。その著者はかつて、息子が従順になり、それによって家族の関係がうまくいくようにして下さい、娘がキリストの愛を知り、いろんな人間関係の中で何が真の愛であるかを知るようにして下さい、また妻が主婦としての義務を果たすことができるように力を与えて下さい、子どもたちに忍耐し家庭を穏やかに保つようにさせてください、彼女が忙しさに負けないように特別の恵みを与えて下さい・・・と祈っていたそうだ。
しかしある時著者は自分が見当違いの祈りをしていたことに気がついたという。キリストの愛を子どもたちが知るためには、父親としての自分がキリストの愛をもっと体験し、それを表さなくてはならないということ、また子どもたちが人間関係の中で神さまの愛を学ぶためには、まず父親としての自分が真の愛を家族のひとりびとりに示すことができるようにと神さまの助けを求めねばならないということに気がついたという。そしてかつての祈りはやめて、「主よ、あなたがいつも私に示して下さっているような愛といつくしみにふさわしい者と、私をなさしめて下さい」という祈りに変わったそうだ。自分こそ神さまの特別な恵みと助けを受けなければならない人間であることを自覚したそうだ。そしてその日から愛に溢れた雰囲気が家庭に満ち、子どもたちの心もなごやかになったそうだ。
誰かのために祈る時、その人が立派ないい人間になるように、優しい思いやりのある人間になるように、またしっかりと務めをはたせるように、と祈ることが多い。祈ることで自分以外のあらゆるものを自分の望む姿に変えてくれることを願い、時には神の意志さえも変えようとする。「祈りとは神を変えることではなく自分を変えることである」というような言葉を目にしたことがある。見当違いの祈りばかりをしてきたような気がする。
「私は、妻にこうなるように願ったり注文したりする祈りをやめた。妻を良い妻にすることではなく、むしろ幸せにすることが私の務めだからである。」(『若い父親のための10章』ジョン・M・ドレッシャー、いのちのことば社)