牧師のひとり言の目次 

偽善者

 怒らないことは誉められることが多い。でも本当は怒らないのではなく、怒れないのかもしれない。
 自分の感情を、心を封印してしまって、いつの間にか怒ることもなくなってしまっている。素直に感じる心をなくしてしまって、なにがあっても穏便にすむように勝手に解釈し、都合の悪くならないように考え、自分を怒らせないようにしてきた。
 怒らないことは実は柔和だからではなく、自分の素直な感情を誤魔化しているだけなのかもしれない。いつもまわりの機嫌を損ねないことを優先し、自分の正直な思いや願いを押しつぶしている。摩擦を恐れて自分の正直な気持ちを誤魔化し、結局は自分をなくしてしまっている。自分がないということは自分の人生を生きていないということだ。自分を生きていないところ、自分の正直な気持ちを感じることができないところでは、本当の喜びも楽しみも感じることはできないだろう。
 自分の気持ちに正直に生きない癖がついてしまうと、本気で怒らなくなってしまいそうだ。怒らないだけではなく、本気で喜び本気で楽しみ本気で泣くこともできなくなってしまうような気がする。
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12:15)ということも、偽善者には出来ないことなのかもしれない。隣人を愛せないのは自分を愛せないからのようだ。