牧師のひとり言の目次 

見つめる

 先日あるテレビの番組で、親が子どもに何をしてやればいいのかというような話をしていました。その中で精神科医だったか一人の人が、親は子どもをもっとよく見てから考えた方がいい、子どもをよく見た上で何をしてやればいいかを考えてほしい、というようなことを言っていました。
 どの親も子どもにこうなって欲しいとかああなって欲しいとかいう思いを持っているでしょう。そして多くの親は、何でも言うことを聞く素直な子どもになって、よく勉強をし、有名な学校に行って、有名なところに就職してほしい、というようなことを求めているようです。
 いつの間にか子どもを決まった型の中に押し込めてしまっているのかもしれません。子どもに対してだけでなく、周りの者を型に嵌めようとすることがよくあります。なかなか嵌まらない者に対してはなおさら一所懸命になったりします。一所懸命になればなるほど嵌められる者は苦しんでしまうことになります。
 そんな時はその人の姿を見ているようで、実は自分の願う型ばかりを見ていて、その人のありのままの姿は見えていません。目には入っていてもそれを認めてはいません。
 神は人を鋳型に流し込むように造ったのではなく、粘土をこねるようにして一つずつ造ったようです。ですからみんな違っています。きっと型に嵌めることはできないのです。
 人は誰かを型に嵌め込もうとすることで誰かを苦しめ、また自分自身を型に嵌め込もうとすることで自分を苦しめているのかもしれません。もっと人を見つめることが必要なようです。イエス・キリストは人のありのままの姿を真剣に見つめているようです。