牧師のひとり言の目次 

誉める

 先日のテレビで、アメリカの児童虐待をしていた親の「親業クラス」という更正プログラムが放送されていました。その中で親がひとつの椅子を子どもに見立てて、子どものいいところを誉める、という練習をしている光景がありました。そのクラスの親たちにとっては、子どもを誉めるということがとても難しいことの様でした。そしてその親自身が誉められることがあまりなかったようでした。
 警察はけしからん、政治家はけしからん、あそこの会社はけしからん、あそこの国はけしからん、今の若い者はけしからん、今の年寄りはけしからん・・・。全くごもっともであります。けしからんことばかりの世の中です。文句を言いたくなるのも至極当然という気がします。
 最近こんな文章に出会いました。「私自身、人の批判が役立って大きく成長させてもらったということは一度もない。・・・私が今まで批判した人が、それを契機として立派な人になったということは一度もない。」
 同感です。成長するのは、そのことを評価してくれ誉めてくれ認めてくれるという喜びがあるからだろうと思います。批判によって成長するということもあるんでしょうか。怒らないで批判したり叱ったりすることはできるのでしょうか。凡人にはとてもできそうにありません。
 しかし悪いところを叱ることは得意でも、いいところを見つけるのは下手です。誉めることはもっと下手です。きっと先の親たちと同じです。しかし誉めることならばできるかもしれません。椅子に向かって少しずつ練習しましょうか。