牧師のひとり言の目次
間違い
なぜだか間違うことを恐れている。そして間違ったときにはずっと後悔する。あの時ああしとけばよかった、こうしなければよかったなんて。後悔したってどうなるものでもないことくらいは重々知っているのに。でもこれがどうにもならない。それよりも間違ったということを誰かに知られることを恐れる。どこかの企業や役人と大差ないみたいだ。
間違いをなくすように努力してきたつもりでいる。何をするにも間違わないことをまず求めてしまう。どうすればいいものになるかよりも、どうすれば間違わないか文句を言われないかということを考える。だからいつも穏便に、前例どおり、自分が責任を取らなくていいようにということになる。結局何をやっても楽しくない、達成感もない。
しかし人間は間違いを持った生き物である。どうやら間違いだけを取り除くことはできないようだ。間違いを持ったまま生きている。間違いをなくすことは人間をやめることになる。完全に間違いを無くしたらきっと自分でなくなることになる。
ええかっこをするのにもずいぶん疲れてしまった。間違いを持ちつつこれからどう生きよう。間違ったらやり直せばいいか。とすんなり割り切ることも難しい。どこまでも心配は続く。
自分の間違いを正直に認め笑い飛ばせるようになれないものだろうか。しっかりとした何かに支えられているという安心感がないとできそうにない。