牧師のひとり言の目次 

聞こえる?

 その場をなごまそうと思って普段したこともない悪ふざけをして却って相手を不機嫌にさせたり、普段言ったこともない冗談を言って逆に相手を怒らせたりすることがある。どうしてあんなことをしたのだろうか、どうしてあんなことを言ったのだろうかと思ってもそれを取り消すことも出来ない。すぐにその場を繕うことができればいいが、しまったと思う気持ちが強くてそれもできず、結局いつまでもそのことを気にしてしまうという羽目に陥ることになったりする。
 間違ったっていいじゃないか、失敗したっていいじゃないか、そんなこと大したことない、相手がどう思おうといいやと思えれば楽なのだろうがそれもできず、もんもんとしたままいつまでも気にしているなんてことがある。
 結局は自分がいつもいいかっこうをしたいという思いがあるからこそ、そうできない自分のことを嘆いているということのようだ。みんなからよく思われたい、嫌われたくないという思いが強くて、周りがそのように見てくれているかどうかを心配し、周りが誉めるような人を演じてしまうことがある。
 そんな風にいつも周りの目を気にして、周りの見る目に振り回されている。心の中にこだまする誰かの声に支配されている。
 しかしそれでは自分の人生を自分が生きているのではなく、誰かに生きさせられているようなものだ。
 間違うな、失敗するな、正しくしろ、立派にしろ、いろんな声が聞こえる。それはいったい誰の言葉なのか。ありのままの私を認めないこの声はいったい誰の言葉なのだろう。
 「私はあなたを愛している。」この神の声をしっかりと聞いていきたい。