牧師のひとり言の目次
加害者
いつかの新聞に、日本に今必要なのは加害者意識を持つことではないか、と書いていた。そんな気がする。
自分たちは被害者であるということはよく聞く。広島に原爆が落とされ多大の被害を被ったと聞く。核兵器をなくせと聞く、あに国は間違っているという声は聞く、しかし自分たちの国の間違いを追求する声はあまり聞かない。
加害者がいない社会である。昨今の事件を起こす少年達も、多くが被害者であると言うそうだ。社会が悪い、学校が悪い、友達が悪い、だから仕方なかったという考えがあるそうだ。
誰も自分の間違いや過ちを認めない、だから誰も自分を正そうとしない。誰もが人の間違いを指摘するだけ、そして変わらない相手に不満を募らせるだけである。だから社会の間違いも正されることはない。
加害者であることを認めることはつらいことだ。自分が悪いことをしたと認めることは苦しいことだ。しかしきっとそこが人間の原点でもある。
人は互いに迷惑をかけあいながら生きている。誰もが加害者であり被害者でもある。自分も加害者であることを認めることが大事なのだろう。誰にも迷惑をかけないで生きていくことなどはできっこないのだ。迷惑をかける人間であることを知り、また迷惑をかけられることをも厭わない、それが人間関係なのではないか。
私たちの目指すべきは、自分の罪と悪を認め、赦し合いいたわりあいながら生きていくことだろう。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマの信徒への手紙3章23-24節)