牧師のひとり言の目次 

普 通

 普通って何なんだろう。異常の反対かな。
 人はよく普通と言う。あなたはお金持ちですか、頭いいですか、優しいですか、美人ですか、幸せですか、と聞かれるとよく普通であると答える。
 競争には負けるなと言われつつ、人と違ったことをすることはいけないとも言われてもきた。上の学校に行き、安定した所に就職し、結婚し、子どもを持つこと、それが当たり前の普通の人間の生き方であるように言われてきた。そしてそこからはみ出てしまう者はおかしな者であるように思ってきた。
 普通そんなことはしない、普通はそんなことで悩まない、なんてことをいとも簡単に言う。しかしそんな時は、自分は、と言うべきところを、普通は、と置き換えていることが多いように思う。普通という言葉で誰かを異常な人間としてしまう。
 逆に普通ではない自分を自分で責めることもある。何かことが起こるとよく、普通母親は子どもがかわいいはずだ、なんてことを聞く。普通男なら勇敢であるべきだ、てなことも聞く。普通でない自分を異常な人間であると思うしかないような状況がある。
 多数がこうであるとか、平均するとこうである、というのなら分かる。しかしそれと普通とは違うだろう。何もかも平均的な人間がいたとしたらとてもつまらない人間のような気がする。
 実際には普通の人間という人はいないだろう。きっと普通というものも存在しないのだ。この世にいるのは自分であり、またあの人である。自分がどうであるか、あの人がどうであるか、それしかないのだ。
 イエスは目の前にいるひとりの苦しみや嘆きを聞かれた。私たちはそんなイエスに従っているのだろうか、それとも普通という妖怪に従っているのだろうか。普通の影には必ず異常がある。