牧師のひとり言の目次
違っていい
「それはおかしい」、「そこは違う」、「それはこうしないといけない」、「こうすべきだ」、「こう考えるべきだ」、「こうすればいいじゃないか」、「こう考えればいい」などなど、ついつい口を挟みたくなることがある。誰かの話を聞くとき、最後までじっくりと相手の話を聞くのは相当に難しい。気がつくと自分がしゃべっている。相手のためと思いつつ、いつのまにか自分の考えを相手に押しつけ、相手を自分の思うような人間に仕立てようとしてしまう。相手を自分の思いのままにしてやろうという気になってしまう。そしてそうならないと相手をののしり責める。
私たちは相手を自分と同じだと思ってしまいがちである。自分と同じに感じ、自分と同じに考え、自分と同じに判断し、自分と同じに生きているような錯覚に陥ることが多い。そして自分と違う感じ方、考え方、生き方をすることを認められないことが多い。そして違っていることがおかしなことだと思ってしまう。相手が自分と同じ生き方をするものと思ってしまう。違っていいはずなのに、違っていて当然なのに、その違いを認められなくなる。自分と違うことを間違いだと思ってしまう。そして自分の考えを相手に押しつけてしまうこと、相手の間違いを正そうとすることが何と多いことだろう。忠告することよりも、じっと聞くことの方がきっと大変なことなのだと思う。しかしじっと聞いてくれることの方が忠告されるよりも慰めとなるようだ。大変さを分けてもらうことが相手の大変さを少なくさせるのかもしれない。
「正しい者はいない。一人もいない。」(ローマの信徒への手紙3章10節)
私たちは本当は忠告できるほど大した人間でもないのだろう。きっと間違いだらけ同士なのだ。