牧師のひとり言の目次 

 ブラジル料理だったか、大きな肉の塊を串刺しにして焼き、そのままテーブルに持ってきて、そこで小さく切ってくれるという料理をテレビで見たことがあります。なんとも美味しそうな肉でした。しかしその美味しい肉も小さくしないと大きな塊のままではなかなか食べられません。小さな子どもは一口ずつにしないと噛み切れなくて食べれないことがよくあります。
 ふとした短い言葉にはっとすることがあります。ちょっとした言葉に慰められることがあります。冊子やチラシの中に載っている短い聖書の言葉が心に沁みることがよくあります。きっとそんな時はその言葉を反復し噛みしめているように思います。
 そのくせ聖書の中にあるまるっきり同じ言葉がまるで心に入ってこないということも珍しくありません。どうしたことでしょうか。聖書をまるかじりしようとするからでしょうか。噛まずにどんどん詰め込もうとしているからでしょうか。聖書もいっぺんに読もうとしてもなかなか読めるものではありません。肉の塊を食べるときのように、食べる力に応じて小さくしてよく噛みながら少しずつ読まないといけないようです。無理に食べて腹痛を起こしては何もなりません。
 どれほど多くのものを腹に入れるかよりも、どれほど消化吸収しているかが問題です。噛んで消化して吸収する、その間に元の形はすっかりなくなります。しかしそうしないことには糧になりません。かたまりのままではただ通過するだけです。