牧師のひとり言の目次 

ぬくもり

 人間には誰でも一つや二つは、思い出すだけで赤面してしまいそうな恥ずかしい失敗や、いつまでたっても心が疼くような悔いの残る出来事があるようだ。いろんな失敗や間違いを犯しながら誰もが生きているらしい。
 誰かの失敗や間抜けな話しを聞くとほっとすることがある。この人にもそんなことがあったのかということを知って安心する。それは、自分の失敗や間抜けさを責め、そんな自分自身を責めているからだろう。そんな駄目な自分を認められずに、自分自身にいらついているからだろう。
 失敗のない、抜かりのないことを目指す風潮がある。失敗のしない立派な人間でなければならないと思う気持ちがある。自分も他の人も、そういう人であるべきだと思う。だから失敗を認められず責めてしまう。いつも失敗をチェックしようとする。いつも駄目なところを探している。
 失敗しないこと、ミスのないことがすばらしいことなんだろうか。あるいはそうなのかもしれないが、もしそれを真剣に目指すとすればこれは猛烈に疲れることだ。あるいは生きていられないのではないかとさえ思う。
 失敗することは許されないことなのだと思う時、自分の少しの失敗に落ち込み、人の少しの失敗を糾弾することになりそうだ。自分も苦しく、相手も苦しめてしまう。そして一番失敗しない方法は何もしないことになるだろう。人間関係も持たないことが一番となる。
 相手も失敗する人間だと知ることで安心し楽になる。自分もそれでもいいんだと思えれば楽になる。失敗する相手も自分も認めること、それはきっと楽しいことだ。それは真実の人間を認めることでもあると思う。失敗を認め合うということはいたわり合うこと、愛し合うことでもあると思う。
 立派な人間同士よりも、失敗だらけの人間同士の方がきっと暖かい。人は誰もがそんなぬくもりのある関係を求めているのではないだろうか。