牧師のひとり言の目次 

背 中

 こどもは親の背中を見て育つというようなことを言う。ところが自分で自分の背中を直接見ることはできない。誰からも見ることができるのに自分では見られない。
 人間の真実の姿は背中にあって、案外自分の真実の姿は自分では見えていないのかもしれない。
 背中を見るには鏡を使うしかない。自分の真実の姿を見るにも鏡が必要だ。それは他の誰かに写る自分を見つめるということであると思う。多分そこに真実の自分が垣間見える。
 誰かのことで腹を立てる時、その誰かの中に自分自身を見て、その自分に腹を立てることがあるそうだ。人のだらしなさ、ふがいなさ、間違いを見るとき、それに腹を立て文句を言いたくなる。しかしそんな時は相手を見ているようで、実は相手を通して自分自身を見ているのかもしれない。相手に腹を立てるときは案外自分自身に腹を立てているのではないだろうか。そんな時、私たちは自分自身を大事に思えていない時なのではないか。あるいは自分の支えを見失い不安になっている時なのではないか。
 しかし神はいつも私たちの背中を後ろから支えてくれている。ありのままの私たちの姿を見つつ支えてくれている。私たちが自分では直接見えないところで支えてくれているに違いない。