牧師のひとり言の目次
スポットライト
テレビではいつも誰それがくっついたとか離れたとかいって大騒ぎしている。あるいはどこかのお偉いさんがどこそこへ行ったとか、お言葉を話されたとか、果てはどこかの野球選手がひとりで練習を始めたということまでニュースになる。
いつも、誰からも注目されて、ちやほやされるようになっていたいと思う。誰からもあいつはすごいと言われたい、いつも脚光を浴びていたい、そこにこそ最高の幸せがある、そうなれば気持ちよく楽しく充実して生きられる、そんな気がしている。
それに引き替え、今の生活はなんとも暗くじめじめしていることかと思う。誰も気にとめてもくれない、誰も自分のことを分かってくれないと思う。時にはこの世から一人だけ取り残されてしまったような悲しみに襲われることもある。スポットライトから遠くかけ離れた真っ暗闇の中を生きているように思えてくる。
しかし待ち望むスポットライトはどこから照らされるものなのだろうか。どれくらい明るいと満足するのだろうか。何億人から注目されればいいのか、何万人か、何千人か、それともひとりだけでもいいのか。一体誰から注目されたら満足するのだろうか。
神は私たちを愛している、大事に思っている、注目しているという。私たちがそれに気が付いていてもいなくても、私たちは神のスポットライトの中にいるということだ。人からちやほやされるようなものを何も持っていない私たちを、神は今もう既に、愛と憐れみというスポットライトで照らしているのだ。