牧師のひとり言の目次 

自分で決める

 「最近の若いもんはけしからん」という言葉はエジプトの遺跡にも書かれていると聞いたことがある。何千年も前から言われ続けている言葉らしい。
 ところで若いか若くないか、それはどうやって決まるのだろうか。
 私はもう若くない、という20代もいれば、俺はまだまだ若い、と言う70代もいる。
 誰かより若いかどうか、ということであればわかりやすい。あるいは何才までが若い、と決まっていればすぐに判断できる。しかし実際はそうでないところが面白い。気持ちが若ければ若いのだ、ということにもなるのかもしれない。はたして自分は若いのかどうかという判断は結構難しい。
 自分が若いと思うかどうか、結局はそれが一番の基準かもしれない。そうすると自分で若いと思うことでずっと若くいられることになる。これは結構真実に近いかもしれない。
 幸せかどうか、それも簡単に判断できない。明確な基準はない。同じような境遇でも幸せと思う人もいれば不幸せだと思う人もいる。幸せだと思う人も不幸せだと思う人も、いいことも悪いことも入り混じっている。多分いいことを数え感謝する人は幸せと感じ、悪いことを数え愚痴をこぼす人は不幸と感じるだろう。自分を幸せだと思えることは嬉しいことだ。しかし幸せか不幸せか、案外自分で決めているのかもしれない。不幸せにしているのは自分自身なのかもしれない。何に幸せを見つけるか、そこが問題だ。
 「インマヌエル(神我らと共にいます)。」消えて無くならない幸せの種がそこにある、と思う。