牧師のひとり言の目次 

考えない葦

 「人間は考える葦である」というのを初めて聞いたのは中学の頃だっただろうか。何ともおかしな言葉だと思った。考えるなんて当たり前じゃないかと思った。
 ところが考えるということはそれほど当たり前ではないような気がしてきた。実際あまり考えないようにしてきたように思う。小さい頃から自分で考えることよりも誰かの言うことを聞くことを求められてきた。どれほど言われた通りにできるかを問われてきた。どう考えるかよりもどう聞くかが重要だった。
 偉い人の言う通りにすることがいいことである、正しいと言われる生き方をすることがいいことであると思う風潮がある。偉い神学者、偉い牧師、偉い先生の言う通りにすることがいいことのように思う。ただどうすればいいかという答えを聞き、その人達の言うとおりにすることで安心する。そしてグルや定説や天声の命じるままに生きることに安心を求める。すっかり考えない葦になってしまったかのようだ。
 人は食物を消化して栄養を吸収する。どんな言葉も自分で消化しないと自分の栄養にはならないような気がする。聖書もしかり、と思う。消化しなければただ身体を通過するだけで出てしまう。どれほど栄養のある物でも消化できなければ力にならない。どんなに正しくいい話しでも、自分で考えることをしないならば自分のためにはならない。自分の人生は自分しか生きられない。自分しか決められない。自分の人生を生きるためには自分で考えないといけない。自分の答えは誰か偉い人の頭の中にあるのではなく、自分がじっくりと考えたところ生まれてくるのではないか。