人は他の人より優位であることで安心する生き物のようだ。人と自分を比較して、自分の方が正しい、自分の方が優れている、そんなふうに自分の方がいいと判断すると安心する。あるいは自分の方が力を持っているとすると安心する。逆に自分の方が劣っている、自分の方が力が弱いと思うと不安になる。
しかし人より優位であることで安心を得ようとすると、いつもいつも周りを気にしていなければいけなくなる。人よりも優れていても劣っていても、どちらにしても周りを気にすることに力を奪われてしまう。
何かをするたびに、周りの人が自分をどう思うか、自分に対する評価がどうなるかばかりを気にすると、結局はまわりが認めることや周りが評価することをしないといけなくなってしまう。そして本来自分がしたい、やりたいことをする力がもう残っていないなんてことになりかねない。そして周りの評価は時と場合によってころころ変わるから厄介だ。
まずは自分が何をしたいか、何をしたくないか、それが第一だ。周りの期待する自分ではなく、自分自身をを生きねばならない。自分をしっかり生きられるからこそ隣人をも尊重できるのだろう。自分を愛せるから隣人も愛せるのだろう。神が自分を愛されていること、そこに私たちがしっかり生きる基盤がある。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネによる福音書3:16)