牧師のひとり言の目次
正しさ×愛
ずっと小さい頃から正しくあることを求められてきたような気がします。小さい頃には親の言うこと、先生の言うことが正しいことでした。正しい生き方をすることが大切なことでした。
人間にとって万人に共通する正しさというものがあるように思ってきました。誰もが模範とすべき正しい生き方が存在し、その正しい生き方に近いほど優れている、そんな気持ちを持ってきました。
そしていつも自分が正しいかどうかということを心配していました。周りと自分とどちらが正しいかということばかり気にしていました。自分の方がが正しいと思えればそれを誇り、相手の方が正しいと思うときは嘆き落ち込んでしまいます。そんな風に必死で自分の正しさを追い求めてきたような気がします。
正しくあろうとするとき、それは自分だけを見つめるような面があります。自分が正しいかどうか、というふうに自分だけの問題となります。また自分の正しさを追求することで、逆に周りの人の間違いを指摘することになりがちです。周りの間違いを指摘することは自分の正しさを証明することにもなります。
イエス・キリストは、最も大事なことは神を愛し隣人を愛することだ、と言いました。自分が正しくあることよりも、愛することが大事だと言いました。愛するということは相手が必要になります。相手との関係が必要になります。自分だけ見ていてはできません。
自分の中に正しさをいくら積み上げても、それだけでは空しい人生のように思います。それよりも、神と、また隣人と愛の関係を持つこと、イエス・キリストがそう勧めているのは、そこにこそ豊かな人生があるからでしょう。