牧師のひとり言の目次 

問 題

 登校拒否をしている時、社会的な問題、特に教育問題に関する本をよく読みました。そして自分を取り巻くいろんな問題を探し出していました。探せば問題は山ほどあって、おかしなことがらもいっぱいありました。
 しかしいくら問題を指摘してもその問題がそんなにすぐに解決するわけではありません。それでも日本の教育はおかしいと思いつづけていました。でもそれは結局は自分を一所懸命に守っていたことだったのかもしれません。自分自身の問題に立ち向かうことができない自分を必死に守ろうとしていたことなのかもしれません。
 人はいろんな問題のある社会に生きています。言い出せば切りがないほど問題があります。社会にしても個人にしてもいろんな問題を持っています。そしてそんな自分以外の問題に対しては誰もが敏感で、あそこが悪いここが悪い、社会が悪い政府が悪い役所が悪い、と言っています。
 自分がこうなったのは世間が悪いからだ、社会が悪いからだ、と思います。どうにかしてくれと神に祈ります。だからその世間や社会が変われば自分もどうかなると思います。なのにどうして神は祈りを聞いてくれないのかと思います。
 高さを変えることで景色が変わってくるように、自分の視点を変えることで社会も違ったように見えてきます。社会が違って見えるということは、社会を変えてしまったことと等しいことのように思います。祈りは、同じ所にしがみつこうとする自分の姿を知らせてくれることかもしれません。祈りによって自分の姿を省み、自分の視点を変える、きっとそこに問題解決の道が拓けてきます。