牧師のひとり言の目次 

気の毒

 この言葉をいつも聞かされて育ちました。母は誰かから何かを貰った時はいつも、ありがとうと言うよりも、気の毒だ、申し訳ない、と答えていたように記憶しています。面倒なこと、迷惑なことをさせてしまったという思いがあるのでしょうか。迷惑をかけることはそんなに悪いことなんでしょうか。
 一般的にも何かをしてもらった時にもありがとうではなくすいませんとよく言います。人から何かを貰う、何かをしてもらうことは有り難いことというよりも気の毒なことであり、お返しを考えないといけない面倒なことのように思うことがあります。もしそうならば誰かに何かをしてあげることは相手を苦しめ悩ますこと、相手を気の毒な気持ちにさせてしまうことになります。
 本来相手に喜んでもらいたいと思ってすることが、逆に相手に重荷を負わせるようなことになるのならば悲しいことです。相手が喜ぶことが自分にとっても嬉しいことなのに、相手が喜ばなければ自分も嬉しくなれません。
 本当に気の毒なのは相手の好意を受けとめられずに、気の毒だとか申し訳ないとしか思えないことではないのか、と思うこのごろです。
 自分の子どもには人に迷惑をかけない人間になってほしい、と言うこともよく聞きます。
 人に迷惑をかけないことを目指し、誰かに何かをしてもらうことも迷惑とかけたと感じるとすれば、一番いいのは誰とも交流を持たないことになります。
 このごろは人間関係が希薄になってきたと聞きます。その原因のひとつが、とにかく迷惑をかけないように、迷惑を受けないようにという辺にあるように思います。でも本来迷惑を掛け合うことこそが人間関係なのではないでしょうか。迷惑をかけ合うことを認めるという関係があって初めて相手の好意も受け取ることが出来るのかもしれません。