悲しみがとまらない、なんて歌がありました。悲しみは時間と共に小さくなりやがてなくなるのでしょうか。よく時間が経てばいやされると言われます。いつまでも悲しんでばかりいないで早く元気出しなさい、なんてこともよく耳にします。
ある本の中にこんな言葉があった。『悲しみは、乗り越えたり忘れたりするものではないらしい、抱えて大事に生きていくものらしいのです。・・・悲しみに出会った人々に関して、「まだ乗り越えないんですか」という人が圧倒的に多い。でも、この「まだ」「もうそろそろ」というのが、じつはくせものなんです。「まだ」であってもいいではありませんか。』
身体の傷と違って悲しみは見えません。怪我をした人に対しては誰もが気遣いますが、心に悲しみを持つ人をいたわることはあまりしません。怪我はやがて治っていきますが悲しみはなくなりはしないようです。それなのにまだかまだかと迫ることが多いのが現実のようです。
見えないものを見ること、見ようとすることが大事なようです。心の目で見るということかもしれません。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙U4章18節)