牧師のひとり言の目次 

人の振り見て

 自分たちの同胞が大変なことをし何人もの人の命までも奪ったのに、そのことを謝罪するわけでもなく、まるで反省もしていないようだ。そうこうするうちにまた力を持ち、金も持ち、かつてと同じような姿になり、また同じようなことを繰り返すのではないか。このまま放ってはおけない。
 最近テレビである宗教団体のことをそんな見方で放送しているのを見る。一体あいつらはどうなっているのか、どう考えているのか、また何かしでかすのではないか、そんな心配をする。
 でもこれってどこかで似たような話しを聞いたことがある。確か日本もアジアの国からはそんなふうに見られているのではなかったか。
 彼の宗教団体をとやかく言うと同時に、あるいはそれ以上に自分自身の在り方も問い直す必要があるのではないか。そんな時にこそ自分自身を見つめなおさねばならないのかもしれない。それは自分の間違いをも含めて自分のありのままを認めるということだろうと思う。
 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」(マタイ7章1-3節)
 聖書にも書いてあるではないか、だからお前も自分の間違いを認めろ、反省しろ、と言い逆にその人を裁く。いつも人を裁くことには熱心だ。しかしきっとそんな私たちの真ん中にもイエス・キリストはおられる。愛と憐れみの神がおられる。
 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4章10節)