朝起きていい天気だと、その日は気分もいい。毎日いい天気だとずっといい気分でいられるかもしれないと思ったりするがもちろんそういうわけにはいかない。雨が全然降らないなんてことになると大変なことになってしまう。あまりに降り過ぎるのも困りものだが。
人生にもいろんな風が吹く。嵐に遭遇するような時もある。そんな風に吹かれるたびに自分の無力さを嘆き、苦しい運命を呪いたくなる。
神を信じればそんな風も吹かなくなる、神はそんな風が自分に吹きつけることがないように守ってくれる、そんな期待を持つ。家内安全、無病息災、それが信じたことに対する神からのご褒美のように思う。
神に祈ることで風がぴたりとやむことを期待する。しかしなかなかそう願い通りにならないことで、今度は自分の信仰のなさをも嘆く。
信仰があれば風が吹かなくなるのか、病気も死もなくなるのか、自分の祈ったように願ったようになるのか。どうもそうではないようだ。
風を吹かなくさせるのではなく、雨を降らせなくするのではなく、どんな時にも私たちの足元を、土台をしっかりと支えている、神はそのような仕方で私たちを支えているのではないだろうか。風は吹き雨は降る、しかし根っこは支えられている。
私たちは風に吹かれることで怖れ、惑い、悩む。しかししっかりとした土台に支えられて生きている。だから恐れつつ、惑いつつ、悩みつつ、神を信じている。
「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(ローマの信徒への手紙14章8節)