牧師のひとり言の目次 

周波数

 そうだったのか、と随分後になって思うことがある。耳にたこができるほど聞いていて、よく知っている事の意味が突然はっきりと分かる時もある。
 周波数が合わないと聞こえない。どんなにいい言葉も聞こえなければ意味がない。
 なぜだか聖書は苦しい時によく読める。どうしていいか分からないような時に一番よく心の中に入ってくる。
 読まなければいけないから、読まない事に罪悪感を感じるから、或いは誰かを戒めるため、自分の立派さを確かめるため、なんてことを思っている時は聖書の言葉もまるで心に入ってこない。自分の心が求める時にこそ入ってくる。飢え渇いている時にこそ入ってくる。聖書の言葉とはそんな言葉のようだ。
 周波数が合わないとラジオも聞こえないように、聖書の言葉も求める心がないとなかなか心に入ってこないようだ。どうやら苦しみ悩む時が聖書を求める時で、そんな時が一番聖書が読めるようだ。
 苦しみ悩むのは聖書を読まなかったために陥ってしまった状況ではなく、聖書を読むために準備された時なのかもしれない。先人が苦しみもがく中で真剣に神を見上げ、神に問い、神に聞いた、その結晶が聖書なのではないだろうか。そして私たちも苦しみもがく中で聖書を読む時に聖書が分かり神が分かるのだろう。きっと神はそんな底辺から私たちを支えている。