牧師のひとり言の目次 

弁護士

 先日高校生が修学旅行先で子どもを産み捨てた、ということを聞いた。あるラジオでこのことに関して、こうなる前に相談できなかったのではないか、今の日本では相談することがなかなかできない、と言っていた。サリン事件の後遺症に苦しんでいると言う人に対しても、いつまでもそんな昔のことばかり言ってないで元気出して生きましょうという人がほとんどで、当人はそんな声を聞くと結局自分のことはわかってくれていないのだと悲しくなる、ということを言っていた。件の高校生も、誰かに話しても叱られるだけということが分かっていたので誰にも言えずにひとりで追い込まれていたのではないか、と言うことだった。
 産み捨てたなんてことを聞くと、なんというひどいことをしたんだ、と言いたくなる。誰にも相談できなかったなんて聞くと、甘えてんじゃない、叱られるのは当たり前だ、ひとりで抱えるからいけないんだ、とどんどん責めてしまいそうだ。あたかも裁判官になったように。
 逆に自分が何か失敗をしでかした時、決してそんな裁判官のところには行きたくない。後悔し、嘆き、苦しみ、悲しむ心をわかってくれる人、どこまでも味方になってくれる人を求める。自分が何かしでかした時は弁護人を求める、しかし誰かが何かした時には裁判官に豹変する。なんとしたことか。
 「泣く人と共に泣きなさい。」ローマの信徒への手紙12章15節