牧師のひとり言の目次 

答 え

 日本の親は学校に行く子どもに対して、「先生の言うことをよく聞きなさい」と言うそうだ。確かにそういう風に言われてきたし、同じようなことを言っている。先日、日本の教育は先生に答えを教えてもらう教育だ、というようなことを言っていた。つまり先生の頭の中には答えが入っていてその答えを教えてもらっている、というようなことだった。確かにそんな教育をされてきたような気がする。正しい答えがどこかにあって、その正しい答えをどれほど頭の中に蓄積してきたかということを問われていたような気がする。そして先生の頭の中には正しい答えが詰まっていて、聞けばどんなことでも答えてくれるような気がしていた。
 何事にもそんな正しい答えがあるような気がしている。学問にも人生にも正しい答えがどこかにあるような気がしている。そして正しい答えを知っている誰かに、お前は間違っていると言われそうな怖れがある。自分の行き方にも毎日の暮らしの中の小さな選択にも、本当は正しい答えがあって今の自分は間違っているのかもしれないという漠然とした不安感がある。
 でも本当の答えなんてのがあるのだろうか。自分にとって正しい人生というようなものがあるのだろうか。本当はこう生きるべきだ、というような正しい答えがどこかにあるのだろうか。誰かの頭の中にそれがあるのだろうか。どうもそんなものはないような気がしてきた。自分がそこで決断した道、それこそが自分の人生であり、それ以外の正しい答え、正しい人生なんてのはないのではないか。答えは誰か偉い人の頭の中にではなく、自分自身が考え決断した所にあるような気がする。
 私たちの教会にとっての正しい答えも誰かの頭の中にあるわけではないだろう。私たちが見つけたもの、決断したもの、選び取ったもの、それが私たちの教会にとっての答えでありそれ以外の正しい答えなんてのはないのではないか。