先日ある人から、町内の人みんなで身体の不自由な方と一緒にバス旅行をした話しを聞いた。最初は心配し面倒がる声もあったそうだが、終わってみるとお互いにいつもよりも楽しく親密な旅になったそうだ。
今の世の中、迷惑をかけられることをとても嫌っていて、またそれと同じだけ自分が誰かに迷惑をかけることを嫌っているように思う。ほとんどの親は自分の子どもに、人に迷惑だけはかけないように、と言うそうだ。でも実際には迷惑をかけないで生きてきた人はいないだろう。
しかし迷惑をかけたりかけられたり、それこそが人間関係なのではないか。そういう中に人間の触れ合いが生まれてくるのではないか。迷惑をかけないでは生きられない人間同士が、迷惑を受けてもらうことで喜び、迷惑を受けることでまた喜ぶ、そんなところにぬくもりが生まれてくるように思う。
誰にも迷惑をかけてませんと言う人間は、だから私に迷惑をかけるなと言いつつ自分のかけている迷惑には気付いていないということが多いそうだ。自分も迷惑をかける人間であるということをもっと自覚すべきなのかもしれない。自分も迷惑をかける人間であると認めるということは、迷惑をかけられる人間であると認めることでもあると思う。お互い様で生きるしかないのかもしれない。でもお互い様は暖かい関係だと思う。
「わたしたちは互に愛し合うべきである。これが、あなたがたの初めから聞いていたおとずれである。」(ヨハネの第一の手紙3:11)
『お前、何様のつもりじゃあ?』
『お互い様じゃあ!』