牧師のひとり言の目次 

間抜け

 牧師になりたてのころは聖書のことやキリスト教のことを聞かれるのがとてもいやだった。牧師のくせにと言われそうだけれども、間違ってはいけない正しいことを答えないといけないような気持ちがあった。こんなことも知らないのかと言われることや、何も分かっていない自分の実体に気づかれることを恐れていた。
 その道の権威と言われる人ほど、分からないとか出来ないということを口にするような気がする。そういう人はまるで背伸びをしないで地に足がついている感じがする。逆に人に弱みを見せられないようにと虚勢を張っている人は意地でも何か答えようとする。四六時中背伸びをして、ずっとつま先立ったまま生きているとしたらこんなしんどいことはない。それに周りの者も疲れてしまう。
 なんでも完璧であらねばならないような、そっちの方がいいような気になっている。抜けた所を何とかなくそうと努力しないといけないような、その振りだけでもしないといけないような気になっている。でも何でも完璧にこなすような人間よりもどこか間の抜けた人間の方が魅力的なのは何故なんだろうか。間抜けなところこそが人間的な所なのかもしれない。
 私たちの本質が間抜けな人間だとしたら、目指すところは間抜けをなくして神になろうとすることではなく、大地にどっかりと足をつけ間抜けな人間としてしっかりと生きるところにあるように思う。それでいいんじゃないかな。