牧師のひとり言の目次
今を生きる
小学校の頃、日曜日の夕方になるととても悲しい気分になっていた。次の日からまた学校が始まるのかと思うといやな気分になった。まだ日曜日なのにもうすでに月曜日の気分だった。
明日いやなことがあることで今日から心配になることがある。一月先のことが今から気になっているなんてこともある。一年先、十年先のことも心配し始めるときりがない。行きつく先は自分が死ぬ時のことだろうか。
将来のことのために今から準備できることをするのならいいけれども、将来のことをずっと前から心配して、ずっとそのことを重荷にしてしまうことがある。その時負えばいい荷物をずっと背負いつづけているようなものだ。心配事のために生きる力も奪われ、時間も奪われているようなものだ。そして過ぎてみればどうってこともなく、こんなことならそんなに心配することもなかったのにと思うことのなんと多かったことか。
イエスは言う。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書6:34)
明日のことは明日悩めばいい、ということか。それは今を生きるということでもあると思う。将来を生きるのではなく今を生きるということだろう。この一瞬一瞬を着実に生きるということだろう。楽しい時には十分に楽しみ、嬉しい時には思いっきり笑う、そうしたらもっと楽しく、もっと活き活きと生きれるような気がする。