牧師のひとり言の目次 

ありのまま

 「お前達は多数決が民主主義と思うとるみたいだがそうじゃない」と中学の時の先生が言っていた。あれっ、違うのか?、とその時思ったことを覚えている。
 思い返すと、ずっと周りに合わせるようにと教えられてきた。周りと同じにすることが大事なことのように思ってきた。自分の考えがどうかよりも、自分がしたいことがどうかよりも、自分の望むことがなにかよりも、周りがどうかということを判断の基準にしてきた。周りから何か言われるのではないかということが大問題だった。
 違っていてもいいんだと言われるようになってきた。個性の時代と言うようになった。でも実際にはみんながルーズソックスを履いて、みんながリクルートスーツを着ている。スーツにネクタイでないというだけで意地悪される議員もいるそうだ。
 同じ物を見て、同じ物を着て、同じ物を食べて、同じことを考え、同じように感じることが仲間の条件のように思っているところがある。女なら、男なら、日本人なら、クリスチャンなら当然同じ、なのだろうか。同じでないといけないのか。同じだから女であり、男であり、日本人であり、クリスチャンなのだろうか。
 神が人を同じに造ったのなら同じになるのかもしれない。でも神は人をひとりひとり違うように造ったのなら違って当然、同じであると思う方がどうかしている。
 民主主義とは少数意見も尊重することだ、と後で聞いた。それぞれの違いを認め、ひとりを大事にすること、それは自分を大事にすることでもある。愛するとはそのままを尊重し大事にし認めるということだろうと思う。
 違っていようが同じだろうが、自分に正直でいたい。それは自分が自分でいること。きっとそれが大事。だってありのままの私たちを神は愛しているのだから。