立派な教会の話しや、立派な牧師の話しや、立派な教会員の話しを聞くと、大抵憂鬱になります。とてもそんな風にはなれないと思い、自分の駄目さを指摘されているような気になります。そんな時はとてもできそうにもない大きな夢を描いては、その夢と現実の違いに気が沈んでしまっています。とても登れない大きな崖の前でジャンプしているようなものです。そして出来ない出来ないと嘆いています。
最近こんな言葉を目にしました。
「私は、実はたわいのない夢を大切にすることから革新が生まれると思っている。」(井深 大、ソニー創業者)
「小さな成功でも祝うことが必要である。」(ランディ・ペニングトン、ペニングトン・パフォーマンス・グループ社長)
自分に対しても周りに対しても駄目なところばかり目に付いてしまうことが多いのですが、そのことでたわいのない夢をすぐに捨てたり、小さな成功を祝わないでしまうことがいっぱいあるような気がします。喜びや感謝の種に対して、そんなこと大したことない、そんなことで喜んでいられない、そんなこと感謝したって仕方ない、と思ってしまうことが多いのかもしれません。でもどうやら小さなことに喜べない感謝できない者は、どんな大きなことがあっても依然として喜ぶことも感謝することもできないようです。大きな喜びや大きな感謝は、結局は小さな喜び小さな感謝の積み重ねなのかもしれません。