牧師のひとり言の目次
価 値
子どものころからいつも誰かと比較をされることが多かったように思う。誰かと比較することで自分の価値を判断されていた。テストで誰かよりいい点を取ることが価値ある人間の条件のような雰囲気だった。おのずと誰かより劣ることは価値のない人間のような見方になっていた。気がつくと自分もしっかりとそんな考え方になっていた。
いつも他者と比較するくせがついてしまった。相手よりも自分が優れていると思うと優越感を持ち安心し相手を見下げ、劣っていると思うと劣等感を持ち相手を妬んでしまう。そんな風にいつも相手は自分の競争相手という見方をしてしまう。
立派な牧師を見ると自分がいかに駄目な牧師かと思い、いい教会の話しを聞くと自分たちの教会がいかに駄目な教会かと思ってしまう。いつも勝手に競争して、敗北感を味わい、自分を責め、そこで生きるエネルギーをみんな使ってしまい疲れ果ててしまう。
他よりもいい人間でないと、いい信徒でないと、いい牧師でないと、いい教会でないと、まるで価値がないのだろうか。神が他よりもいいものだけを愛するのならばそうなるだろう。しかし神は全ての者を愛している、と言っている。他と比べて良くても悪くても愛しているのだ。
神に愛されているから価値があるのだと思う。価値は、他と比べて優れているものにあるのではなく、愛されているところにある、と思う。そこに生きる力が湧いてくる、神の力が現れる。