牧師のひとり言の目次 

居場所

 人間は生まれてからずっと安心できる居場所を求めているのではないだろうか。
 誰からも非難されない、拒否されない、否定されない、そんな場所、そして全身の緊張を解いても大丈夫なところを求めているように思う。自分の状態に関わらず、自分を徹底的に肯定してくれるところ、自分の存在自体を受け止めてくれるところ、そんなところが人間の居場所になるのだと思う。
 そんな安心できる場所があるから嵐の中へも出て行くことが出来るのだろう。だから親の腕の中で安心して育った子どもは自然と自立していくそうだ。逆に子どものときから非難されつづけてそのままを受け止めてもらえなかった子どもはいつまでも自信を持つことができずにずっと不安と恐れを持って生きていくそうだ。
 私たちの安心できる居場所となるようなところはどこにあるのだろうか。
 苦難とは、飢えや病や老いというよりも、そのことによって自分で自分が大事だと思えないこと、自分には意味も価値もないと思うことではないか。失敗し挫折し落ち込むとそんな気になる。しかしそんな時にも神は必ずそこにいて助けてくださる、のだ。そこに私たちの居場所があるように思う。私たちが何を持っているかではなく、どこに立っているか、それが問題だと思う。