牧師のひとり言の目次 

安 心

 立派な人に囲まれていると萎縮してしまう。誰に対しても、どんな時にも自分の意見を堂々と言える人もいるらしいがうらやましい限りだ。一体どんな風に育ったのか知りたくなる。
 そういえばあまり認められた覚えがない。いい成績をとったりした時にはそうでもないけれども、何をするにもほとんどいつも何かチェックされていたような記憶がある。自分ではよく出来たと思うようなことでも、もっとこうすれば良かった、ここはこれではだめだ、と言われていたような気がする。だから失敗したりうまくできなかった時にはなおさらいろいろと言われ、あの時はあんなことをしたと後々まで言われて物笑いの種にされていた。少なくとも自分ではそんな気持ちだった。
 物心ついたころから自分のことは凡そすべてのことに自信がなかった。いつも誰かから非難されるという恐れを持ってしまった。人よりも優れていることでしか安心できなかった。それがいい成績を目指すことにつながり、それが出来なくなった時には生きる価値もないような気になってしまった。
 成績がいいからではなく、仕事をそつなくこなすからでもない、そんなことがあろうとなかろうと自分の存在そのものをそのままで認めてもらうことで安心できるようだ。一体誰が認めてくれるのか、ありのままの自分を。
 誰が何と言おうと少なくとも神は「お前でいい、お前が大事だ」と語りかけているように思う。その神を前にして、聖書を前にして佇んでいる。ここに安心の源があるように思う。