牧師のひとり言の目次 

模範解答

 ♪ピー、ピピ、ピピー、ピカソもダヴィンチも、いいかどうかは自分で決める♪なんて歌が朝のテレビから聞こえてくる時がある。
 そういえばあんまり自分で決めないできたような気がしてならない。いつもいい顔をしてきた。いつも周りが期待するような行動をとってきた。いつもまわりを怒らせないように、そして自分を悪く思われないような答えをしてきた。そうやっていつも誰かの顔色をうかがってばかりだった。いつもいい人間を装ってきた。いい小学生、いい中学生、いい高校生を振る舞ってきた。そこまでが限界だった。それ以上いい振りはできなくなった。人生が破綻したようだった。
 でも相変わらずいい顔をする癖はなかなか治らない。今でもいいクリスチャン、いい牧師の振りをしてしまうことがある。本当はそうではないのにそれらしい行動とそれらしい発言をしてしまうことがよくある。本当の自分を知られることに対する漠然とした恐怖感がある。
 模範解答をしたところでほとんど何の意味もない。いいかっこしたって空しく疲れるだけだ。何の充実感もないし、誰にも感動を与えられないだろう。
 借り物の言葉は、たとえそれが正しいことでも相手の心には響かないのではないだろうか。
 『彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」』(ヨハネによる福音書4章42節)
 人の目を心配するより、自分が本当に分かっているのかどうかを心配したい、と思いつつなかなかそうはいかないところが辛いところだ。
 毎週わかったような顔をして偉そうなことを言っているあの人は本当にわかっているんだろうか。