一日一日の積み重ねが人生なんだ、なんてことを考えたりする今日このごろです。
明日の命の保証は誰にもないわけで、そう思うと今日生きていることもそれほど当たり前のことではないのかもしれません。案外今日生きていることが奇蹟かもしれず、そうすると毎日は奇蹟の連続ということになります。
でもそんなこと毎日考えて生きていくなんてことはほとんど不可能だし、明日どうなるか分からないなんて毎日心配していたら参ってしまいそうです。実際人間は世の中に一定の秩序と連続性を求めるものなのだそうです。今日は昨日のようであった、明日も今日のようであるだろう、明日の景色も今日の景色のようであり、今日良いこととされていることは、明日もまた良いことであるはずだという認識です。
明日もきっと大丈夫だと思っているから毎日安心して生きているわけですが、しかし残念ながら永久に同じ明日が来るわけではないことも事実です。そしたらこのような安心感も結構頼りないもののような気がします。だとすると結局は安心して生きる術はないんでしょうか。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ人への手紙13:8)
日暮らしも変わらない方と一緒ならばまた楽し、かな。