ある高校で卒業式や入学式のことで生徒会と校長がもめていたというニュースがありました。一体何が問題なのか詳しい事は分かりませんが、そのことに関してどこかのお偉いさんが「生徒たちは民主主義がわかっていない」と言ったそうです。そういえば国会でも確か民主主義がどうのこうのと言うことをよく聞きます。
なんとすごい言い方だな、と思います。お前たちには有無を言わせない、といった印象を受けます。お前たちは何も分かっちゃいない半人前の人間なんだ、と言いたかったんでしょうか。だから俺達大人のいうことを聞いてればいいんだ、俺達の言う通りにしとけば、決められた通りにしとけばいいんだ、と言いたかったんでしょうか。
しかしこんな大義名分を持ち出して来られたのではたまったものではありません。仮に、自分が全く正しく相手が完全に間違っていたとしても、これでは話しにならないし、それ以上何も聞きたくもないでしょう。ましてどちらかが完全に正しいなんてことは人間の間ではあるはずもなく、それを言えるのは神さましかいないはずです。大義名分を持ち出す時は、その人が神の代理として言っているか、あるいはすっかり神になったつもりで言っているのかもしれません。でも神の代理にだってなれるんでしょうか。
でも他の人のことになると自分はつい神になってしまいがちです。それは罪だ、聖書にはこう書いている、と神の側に立って裁いてしまいがちです。でもキリストはそのいう仕方で人間と接したのではありませんでした。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2:6-7)