牧師のひとり言の目次
準 備?
幼稚園は小学校へ、小学校は中学へ、中学は高校へ、高校は大学へ、大学は就職のための準備の時、というようなことを聞くことがある。今はいつかやってくる輝かしい未来のための準備の時なんだから我慢しなさい、というようなことを聞かされてきた。受験生なのにそんなことしている場合じゃない、というような周りの目があった。なぜだかそれがとても嫌だった。
自分の本当の人生はもっと将来に始まるような、本当に価値のある人生はもっともっと先の事のように言われてきた。そうすると将来のための準備としての今は大した意味もない人生みたいに感じてしまう。しかも実際に聞かされてきた価値ある人生とは、順調に階段を登っていくような人生で、将来成功すればその人の人生には価値がある、というようなことを聞かされてきた。それでは階段を踏み外してしまった自分には価値のある人生を送る事はできない、となってしまう。
上の学校に入れば、結婚すれば、子どもができれば、子どもの手が離れれば、もう少し暇になれば、もう少し金持ちになれば、あるいは定年になれば、自分のしたい事をしてもっともっとましな生き方ができるのではないかなんてことを思う。そう思う事で今の苦しさを乗り切れるなんてことも確かにあるだろう。でも今やりたいことをできない者は、結局いつまでたってもできないようだ。
たとえ苦しくても、今に価値を見出せなければ、将来にも多分価値は見出せないんじゃないかな。今を喜べなければ、将来にも喜べないような気がする。
『今』を大事にすることから自分の人生が価値あるものとなってくるのではないだろうか。