牧師のひとり言の目次 

疑 問

 年が改まってからもうだいぶ経ったので、さすがにもう「明けましておめでとう」とは言われなくなりました。なぜだかこういうかしこまった挨拶が大の苦手です。何がめでたいのか、なんてことを考えるともういけません。そう思った途端に言葉にするのが億劫になってしまい。だから正月には大袈裟に挨拶するようなところにはあまり行きたくありません。ただ単に人見知りをしているだけなのかもしれませんが。そういえば何年か前の正月に、娘が誰かから「おめでとう」と言われ「ありがとう」と答えていました。
 改めて考えるとなぜなのか分からない、なんてことがよくあります。何も考えずにしてきたこととか当然のように思っていたことなど、よく考えるとあまり分かっていないことがいっぱいあります。
 教会のことでも本当は分かっていなかったということがよくあります。もしかしたらそればっかりかもしれません。神について聖書について信仰について分からないことだらけです。それでもなんとなく分かったような顔をしてしまいがちです。
 思ったようにいかず苦しいことが起こるとどうしてこんなことになるのか、と思います。これは試練だ、なんてとても思えません。では何でこんなことになるのか、答えはそう簡単には出てきません。疑問だけが残ります。
 でもきっと疑問を持つからこそ真実の答えを見つけることができるのでしょう。問い続けることで真理に、また神に近づくことができるのだと思います。疑問のないところに真理は見えなてこないように思います。だから疑問を持つことは全然悪いことだとは思いません。疑問がないなんてことの方が危険な気がします。