牧師のひとり言の目次
中 毒
腹の減っている人に魚をあげるとその日の空腹を満たすことができる。しかしその人に魚の釣り方を教えるとその人はずっと食べ物に困らなくなる。
こんな話しを聞くとごもっともと思う。だから釣り方を教えてあげなければ、といつも自分はあげる側の人間だと思っている。そしてこれからは釣りを教えてあげるように、本当にその人のためになることを教えてあげねばと考える。
ところが自分が貰う側になったときには将来どうなればいいか、なんてことはなかなか考えられない。このままずっと与え続けてほしい、早くしてほしい、どうしてしてくれないの、なんてことになる。いつまでも赤ん坊のままで親からなんでもしてもらい続けるようなものだ。
そもそも自分が貰う側であることさえ気付いていないことが多いのかもしれない。自分が誰かに何かをしてもらっている、ということも感じていないことの方が多いのかもしれない。自分はしてもらって当たり前。感謝することもない。感謝がないから喜びもない。
だからいつまでたっても貰うことばかり考えている。そして貰えないと腹を立てる。あの人は冷たい、気が利かない、なんで私がしないといけないの、あの人の仕事でしょう、など。まるで麻薬中毒患者の禁断症状のようだ。
イエスは言った、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカによる福音書6:31)
そんな気持ちをみんなに持っていてもらいたい・・・。やっぱりもらいたいか、ほとんど中毒。