牧師のひとり言の目次 

通 説

 「死ぬ気になったら何でもできるのにどうして死んでしまうのか」、最近ワイドショーのゲストが心中事件についてこんなことを言っていました。死ぬ気になったらどんなつらいことでもできるはず、というのが世の中の通説です。でもこれはきっと間違いだろうと思います。本当に死ぬ気になったことのない人の言うことだろうと思います。
 男だから、女だから、子どもだから、大人だから、老人だから、などなど、世の中にはいろいろな通説があります。常識ともいいます。でも案外それらは大した根拠もなく単なる推測でしかないものだったり、ただ誰かの思い付きだったりすることが多いように思います。でもその通説にいつのまにか縛られてしまうことが案外多いようです。子どものいない夫婦が変な目で見られるなんてこともよく聞きます。
 通説通りに生きることで必ず幸せになれるのならばそう努力すればいいのかもしれません。しかし却ってその通説によって苦しめられ、また人を苦しめていることが多くように思います。
 通説に従うのではなく、神に従うところに本当の自分の生き方があるように思います。通説に合うかどうかで人を判断するのをやめ、人そのもの、また人の気持ちそのものを見るところに愛が生まれてきます。常識に縛られていては愛することはできません。
 「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤの信徒人への手紙 5章1節)
 教会には清い人だけが行っている、信仰は弱い人だけが持つものだ、礼拝には信者だけが行くものだ、クリスマスはイエス・キリストの誕生日だ、巷ではこんな通説があります。どうしたもんでしょうか。