牧師のひとり言の目次
ひとりじゃない
説教は木曜日までに作って金曜日は丸1日寝かせるといい、と聞いたことがあります。でもそんなに余裕を持って説教が出来たことは一度もありません。気がつくと週末がきてしまい、まだ何も出来ていないことに苛立っているのが常です。説教に命をかけている、なんて話しを聞くと余計に自分のだらしなさがいやになります。
いろんな研修会や総会で次々と発言する牧師たちを見ていると、しばしばその発言の意味さえも分からない自分がいたたまれなくなってしまいます。
こんなので牧師をしていていいのだろうかと不安になってしまうこともしばしばです。こんなことやってるのはきっと俺だけだろうなぁと思うと余計苦しくなってしまいます。
ある研修会の報告書の中である牧師が、説教ができなくて日曜日の朝まで苦しんでいる事が書いてありました。またある時何十年も牧師をしている人が、僕は人見知りをするから人が集まる所にいるのが苦手だ、と言うのを聞きました。こういうことを知るととても嬉しくなります。俺だけじゃないんだ、ということを知り安心します。だからといって説教がすぐ出来たり、どこでも平気で発言できるようになるわけではありません。ひとりだけじゃないと分かったからといって、自分自身が急に変わるわけでも、目の前の問題が小さくなるわけでもありません。でもひとりだけなのと、ひとりでないのとは大違いです。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(イエス・キリスト)
『いつも』ということは『今も』ということですよねえ。