牧師のひとり言の目次 

誰のため

 『日本一醜い親への手紙』という本を見ました。親に苦しめられた子ども達の手紙です。その中に「これはあなたのためだ」という親の言葉が何回か出てきます。
 「あなたのためにやっている」と言っても子どもはそうでないことをお見通しみたいです。親が世間体を気にしているだけだったり、親の不安感を払拭するためだったりすることが多いのかもしれません。本当は子どもを自分を喜ばすための道具にしているような時もあります。だから何がなんでも自分の思い通りにしないと気が済まないようなところがあります。本当に子どものためにするときには具体的な理由を言って、あなたのためだ、ことは多分言わないでしょう。
 人はいったい誰のために生きているのでしょうか。誰かのためだけに生きていくことなど出来るのでしょうか。自分のことで考えてみるとそんな事は出来ないような気がします。結局は自分のために生きている、何をするにしても自分のためにしているような気がします。自分の喜びのためにしているように思います。
 では何が自分にとって一番の喜びなのでしょうか。車や家や地位や名誉やお金や健康や才能や美貌を手に入れることは確かに嬉しいことです。でもそれよりももっと大きい喜びは相手が喜ぶことのような気がします。相手の喜びとなることを自分が出来ること、自分が誰かのためになっていること、それが自分にとって一番の喜びのような気がします。
 「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように・・」(使徒言行録20章35節)
 それは相手を幸せにするだけではなく、あるいはそれよりも自分自身を幸せにすることかもしれません。