牧師のひとり言の目次 

痛 み

 テレビで無痛症だったか、痛みを感じないという病気の子どものことが出ていました。つねってもひっかいても痛くないそうです。どこかにぶつけても、高い所から飛び降りて骨折しても痛くないそうです。
 痛くない方がいいような気もします。頭痛も筋肉痛もなければいいような気もします。しかし痛みを感じないという事は、どうやら自分の危険を感じない事でもあるようです。自分の体を傷つけるものの存在を感じさせないことにもなります。
 痛い事はつらい事でもあります。体の痛みもそうであるし、また心の痛みもそうでしょう、どちらも大変つらい事です。痛くないほうがいいと思います。痛くない事にあこがれます。でも実は痛くない事の方がよほど大変なことかもしれません。
 何が起ころうと動ぜず、平然としていられたらと思う事があります。ちょっとしたひとことでどうしてこんなに痛い思いをするのか、ちょっとした思わぬ出来事でどうしてこんなに動揺するのかと思う事もあります。どうしてこんなに落ち込み、どうしてこんなに苦しんでしまうのかと思います。
 何があろうとびくともしない人間になりたい、強い人間になりたいと思います。でもそれは痛みを感じない人間になることを目指しているようなものかもしれません。鉄の心を目指しているのかも知れません。
 しかし痛みを感じない人間には人の痛みを感じることもできないでしょう。
 「イエスは涙を流された。」(ヨハネによる福音書11章35節)
 「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。」(イザヤ書53章3節)