牧師のひとり言の目次 

関 係

 「どうぞ尊敬するという言葉を使わないで下さい。もし私たちが失敗したり、期待に価する人間でなかったら尊敬できなくなるでしょう。どうぞ私たちを愛して下さい。キリストの愛は失敗をゆるし、その人をそのまま受け入れていくことです。私たちは愛し合いましょう」(9月27日キリスト新聞より)。
 この言葉は、ある教会の人を紹介する時に、「尊敬する△△教会の皆さま・・・」と言ったのに対してその教会の人が語った言葉だそうです。
 尊敬できるかできないか、人は誰もそんな基準で周りの人を見ているのかもしれません。尊敬できると思う時はその人を必要以上に持ち上げ、尊敬できないとなるとその人を見下げるような所があります。
 尊敬する時、それは相手が自分の期待に添う人間である、これからもそうあってほしいと願う気持ちがあるということが多いのかもしれません。だから尊敬していた人があんなことを言うとは思わなかったと失望し、逆にその人を嫌いになることもあります。
 しかし結局は全面的に尊敬できる人を探し当てることは容易ではなく、むしろほとんど不可能です。尊敬できる人とだけ関係を持とうとするならば誰とも関係を持てなくなるかもしれません。
 尊敬できるかどうか、それは相手がどういう人間かを問題にしています。尊敬するには自分にとって相手が尊敬するに値する人間である必要があります。しかし愛するかどうか、それは自分の側の問題です。相手がどんな人間かは関係ありません。愛することで人との関係を持とうとすればどんな人でもその対象となります。
 人間の幸福が他者との関係の中に生まれてくるものであるとすれば、愛することのできる人間こそが幸福になれる人間ということになります。