牧師のひとり言の目次 

評 価

 「あの人を見損なった」とか「あの人を見直した」とよく言います。あるいはまたそんな言葉を聞く事もあります。「お前を見損なった」と言われることはかなりこたえます。
 何か一ついいことをしたことでその人の全てをいいものと思うことがあります。清廉潔白な人間だと思い込むことがあります。その人の人生何もかもがすばらしかったことのように思ってしまいます。なのにその人が思いもよらないことをしたり言ったりするとあんな人とは思わなかった、信じていたのに、ということで途端に極悪人のように思ってしまったりすることもあります。
 私たちはどこかで人間を二種類に分ける習性があるのかもしれません。誰もが良い人間と悪い人間のどちらかでしかないというような気持ちを誰もがもっているように思います。だから良い人間と思っていた人がそうでないとなると途端に悪い人間になってしまいます。
 人はそれほど単純にどっちかに分けられるものではないだろうと思います。全く正しい人間も全く間違いの人間もいないでしょう。誰もが良い所と悪い所を持っています。ひとつ良い所があるからといってあまりに持ち上げるのも、一つ悪いところがあるからといってあまりにけなすのも、それはどちらも軽率な行為といえるかもしれません。あるいはそれは人間に対する冒涜かもしれません。神は人間をそれほど単純には創っていません。良い人間か悪い人間かという評価する見方しか出来ない所では、きっとその人の本当の姿は見えてきません。そして同じ見方をするならば自分自身をも見えなくなってしまいます。
 しかし神は人を評価する目で見ているのではないようです。神は人を愛する目で見ています。