牧師のひとり言の目次
妖怪
先日のテレビで、戦前に天皇が地方へ行った時、天皇の乗る車の先導車が道を間違え、その車に乗っていた警官の一人が自決未遂をした話しをしていました。そういうことがあった場合には自決するのが当たり前だったのだそうです。
なんともばかばかしい気がします。自決する必要がどこにあるのか、一体誰がそれを望んでいるのか、結局はなにもないのではないでしょうか。ただそんな雰囲気、そんな幻想があるだけではないのかと思えてしまいます。実体はまるでないのにみんなであるかのように振る舞っている、まるで裸の王様のようです。
あの頃は、と聞くこともありますが今も本質的には変わってはいないように見えます。警備も沿道も同じような状況です。一言の批判も許されない雰囲気があります。見えない妖怪を恐れているかのようです。本当は存在しない妖怪に支配されているかのようです。
そしてこれはきっと天皇のことだけではありません。こんなことを言ったら誰かににらまれるんではないか、こんなことをしたら誰かから叱られるのではないか、あの人はああ言ったから、この人はこう言ったから、と私たちは自分を縛りつけます。誰かの新しい声を聞くたびに、社会の雰囲気が変わるたびに右往左往してしまいます。自分の願いを抑え、自分自身をどこかに閉じ込めて、いつしか本当の自分を見失うことがあります。
私たちが私たちらしく生きるためには妖怪にではなく、キリストに聞かねばならないのでしょう。
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。」(ガラテヤ5:1)