牧師のひとり言の目次
坊主頭
世間は高校野球だと騒いでいるみたいですが、我が家はテレビの放送時間延長のために子どもの番組がなくなり大迷惑です。
選手たちは相変わらず坊主頭にしてるみたいですが、あれを見てなぜだか何年か前のニュースを思い出しました。アメリカかどこかの国で、クラスの中の一人の男の子が白血病の治療だったか何かで頭の毛が抜けてしまったというのです。そこで同じクラスの男子生徒みんなが髪を切って丸坊主にしてしまった、という話しでした。
日本で同じことが起きたらどうなるんだろうと考えてしまいました。それこそいじめの標的にされてしまいそうな気がします。あるいは、そんなことは気にするな、大したことない元気出せ、とかなんとか言うくらいが関の山でしょうか。結局は自分から何かをするということはなく、本人がどうするかを見ているだけということになりそうです。
しかし件の男子生徒は丸坊主の子を認めるだけではなくて、自分たちからその子と同じになろうとしています。積極的に自分たちから関わっていっています。違いを認めるだけではなくて、敢えて相手の側に立とうとしているようです。同じ丸坊主でも高校野球の丸坊主とはちょっと違います。
イエスも同じようにしているように思います。イエスはどこまでも私たちと同じところに立とうとしている、いつまでも私たちと共にいようとしています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピの信徒への手紙2:6-7)