牧師のひとり言の目次 

平 和

 日本人は平和ボケをしている、とよく聞きます。なんだか戦争をしていないことが、戦争の準備をしないことが悪いかのように聞こえます。平和なんてのはありえないのでしょうか。戦争をしないことの方が異常なのでしょうか。平和とは単なる幻想なのでしょうか。
 新聞にこんなことが書いてありました。どちらの側も自分たちがいかに殺され、ひどい目にあわされたかを語り伝える。しかしどちらの側も自分たちがどれほど相手を殺したか、ひどいことをしたかは語らない。そうして憎しみを子どもたちに伝えていき、いつまで経っても戦いは終わらない。これは旧ユーゴスラビアの内戦のときの話しです。
 イエスは言いました。「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。平和は空から降ってくるものではないようです。平和は実現しようとしなければ、作り出さなければできないようです。誰かが持ってきてくれるものではなく、自分が作るものなのでしょう。
 今の広島はどうなのでしょうか。広島は平和を作ろうとしているのでしょうか。それとも憎しみを伝えようとしているのでしょうか。
 自分たちがどんなひどいことをしてきたのか、それに向き合うことはとてもしんどいことです。罪悪感をずっと持ち続けるのは大変なことです。しかしそこにこそ平和の源があるように思います。平和を作るとは自分の罪と向き合うことかもしれません。