牧師のひとり言の目次 

『いい』話し

 今日の話しはいい話しだった、とかおかしな話しだったとかいいます。新聞でも本でも雑誌でもいろいろなことを読みながら、いい話しだと思ったり思わなかったりします。
 でもよくよく考えると、どこがどういいのかというと、ほとんどの場合、自分の考えに合っている時がいい話しで、自分の考えとは違う時にはおかしな話しだと思うのではないでしょうか。
 自分の考えと同じことを言ってくれた時には、自分のそれまでの考えも間違ってはいなかったと思え安心する、だからこそその話しはいい話しに聞こえるのかもしれません。つまり自分の心に波風を立てない話しは、それはとても耳触りのいい話しでもありますが、素直に聞けてその通りだ、いい話しだと思えるわけです。
 ところが自分の考えとは違う話しを聞くのはなかなか大変です。さてどっちが本当なのかと思いつつ聞くのは大変なことです。それまでの自分が間違っていたということになるかもしれません。自分の生き方に修正を迫られるかもしれないのです。一体真理はどこにあるのか、なんて考えさせられる話しを聞くのはとてもしんどいことです。
 しかし違った考えでも気楽に聞く方法もあります。一方的にこいつはおかしい、この考えは間違っている、と端から決めてかかる方法、もう一つは逆に一方的にこれこそが真理だと決めてかかる方法です。そうすれば自分で考える必要はなくなり動揺することもありません。でもそこからは何も得るものがありません。
 そんなばかな、どういうことなんだ、と思える話しの中に真実が隠されていることが多くあります。いい話しからよりも、自分を悩まし動揺させる話しからの方が得るものは大きいのかもしれません。